F-0004 青い回覧板のあとで書かれた日記らしいもの
霧野三丁目・第六班/手帳写し
- 形式
- diary
- 時期
- 2024-09-24〜2024-11-18頃
- 状態
- 完全
- 出所
- 復元 — 薄い家計簿の余白に書かれていたものの転記とされる。最後の日付のあとの余白には何も書かれていない。
// 本文
9月24日(火)
班長の箱を押し入れから出した。前の班長さんから受け取った青い回覧板、角のシールが何枚も重なっていて、古い鞄みたいな匂いがする。うちの名前の札を入れるところが少し裂けていたので、透明テープを貼った。
町内会だよりはいつものプリンタで出した。資源ごみの日、敬老会の写真募集、防犯灯の件。夫はまたインクが薄いと言う。黒が少し灰色に見えるのは安い紙のせいかもしれない。
一番目は斜め向かいの田辺さんへ。夕方、門のところで渡したら、奥さんが「青いの、まだ使ってるんですね」と言った。まだ、という言い方が少し気になった。
9月28日(土)
回覧板が戻った。全員の印がそろっていて安心した。最後の家の判子が上下逆だった。
紙を抜いて次の分を挟もうとしたら、下の余白に小さい欄が増えているように見えた。お悔やみ、と読めた気がする。そんな欄は作っていない。けれど夫に見せたら「前からあったんじゃないか」と言う。そんなはずはないと思う。
名前は一つだけ。漢字が違っていた。たぶん向かいの佐々木さんのことに見えるけど、真ん中の字が一本足りない。年齢らしい数字もあった。七十四、だったと思う。佐々木さんは七十三ではなかったか。自信がない。
紫っぽい線。家庭用の黒ではない。昔、学校で配られたわら半紙のプリントの色に似ていた。
10月1日(火)
佐々木さんが出てこない。奥さんが洗濯物だけ干していた。風邪らしいと隣の人が言っていた。回覧板のことは言わなかった。言うと本当になるようで嫌だった。
夜、台所で町内会だよりの元のファイルを開いた。欄はない。下の文章も、資源ごみのところが三行ある。戻ってきた紙は二行半しかない。夫は「印刷の縮尺が違うんだろう」と言った。たしかにそうかもしれない。
でも縮尺が違うなら、上も少しずれるはずではないか。
10月5日(土)
朝、玄関先が少し騒がしかった。佐々木さんが倒れていたらしい。救急車は来たけれど、近所の人はみんな小声で、あとで聞いてもはっきり言わない。亡くなったとは誰も言っていない。
なのに午後、台所の引き出しから不祝儀袋が一枚出てきた。買った覚えがない。夫は「前からあった」と言った。名前を書くところを見たら、薄く筆ペンの跡が残っていた。誰の名前か読めなかった。
夜、線香の匂いがした。うちは仏壇を置いていない。
10月18日(金)
次の回覧を作る。先月のことがあるので、印刷した直後に写真を撮っておいた。スマホの画面では普通の紙。余白は白い。日付も合っている。
青い回覧板に挟むと、少し紙が小さく見える。そんなことはないはずだけど、右下が遠くなる感じがする。
田辺さんへ渡す前にもう一度見た。欄はなかった。なかったと思う。
10月22日(火)
戻ってきた。下にまた欄。今度は空欄ではなく、名前が二つ。ひとつ目は先月のものに似ているけれど、字が違う。ふたつ目は女性の名前で、旧姓のように見えた。
夫に見せたら、欄が見えないと言う。そんなわけないと思って指でなぞったら、夫は「そこは資源ごみの注意書きだろ」と言った。私にはお悔やみの文字が見えている。
写真を撮った。私のスマホには写った。夫のスマホでは、ただの余白に見える。並べて見ると、同じ時間なのに、私の写真だけファイル名の日付が昨日になっていた。設定を触った覚えはない。
10月23日(水)
昨日の写真が見当たらない。フォルダにはあるのに、開くと白っぽくぼやける。日付は10月21日になっている。昨日は22日だったはず。
夕方、例の女性がうちに来た。名前の字が違うと言ったら、笑って「それ、昔の名前です」と言った。でもすぐに顔色が変わって、「昔じゃないかも」と小さく言った。お茶を出したけれど、湯のみを持つ手が震えていた。
帰ったあと、食器棚の奥から古い箸袋が出てきた。夫の実家の法事でもらったものだと思う。そこに彼女の旧姓と同じ字の屋号が印刷されていた。そういう名前の店は知らない。
11月2日(土)
もう一度だけ回すことになった。会長さんは「気になるなら新しい紙にすればいい」と言った。そういうことではないと思うが、うまく説明できない。
朝、回覧板を玄関の靴箱に入れたままにして、田辺さんへ渡さなかった。少し試すつもりだった。よくないことをしている気がした。
翌朝、田辺さんの郵便受けに町内会だよりが入っていたと聞いた。白黒コピーで、欄はなかったらしい。右下に小さく未回覧とあったという。誰が入れたのかは分からない。
私はその時間、家にいた。外へは出ていない。
11月4日(月)
夕方のチャイムが鳴る前に、線香の匂いがした。まだ三時半だった。窓を開けても外は洗濯物の匂いだけだった。
靴箱の中の青い回覧板を出すと、表紙が少し湿っていた。雨は降っていない。指で押すと、合皮のへこみがゆっくり戻った。中の紙は乾いていた。
下の欄を黒ペンで塗りつぶした。強く塗ったので紙が少し破れた。名前が見えなければいいと思った。子どものころ、教科書の嫌な写真を塗った時のことを思い出した。
夜一時過ぎ、電話が二回鳴った。夫は寝ていて起きなかった。留守電には何も入っていないと思ったが、再生すると紙をめくる音だけがした。何枚も、ゆっくり。
11月8日(金)
回覧板が戻った。塗りつぶしたところが、黒い丸ではなく、小さなリボンみたいな形になっていた。喪章と書くのか。左右がきれいに整っていた。私の塗り方ではない。
資源ごみの案内が一行減っている。ビンのところがない。夫はもともとそうだったと言う。私は先月、ビンの日のことで隣に電話したはずなのに。
佐々木さんの家の表札を見た。字が一本多い。前からそうだったかもしれない。もう自信がない。
11月18日(月)
忘れないうちに書いておく。今日は回覧板を触っていない。なのに台所のテーブルに町内会だよりが一枚あった。下は破れていた。破れたところに紫の粉みたいなものがついていた。花粉かインクか分からない。
夫に見せたら、何もない紙をなぜ取っておくのかと言われた。破れているでしょうと言ったら、夫は破れていないと言った。
私の名前はまだない。ないと思う。ただ、さっきから自分の名字の字が少し変に見える。結婚してからずっとこの字を書いてきたはずなのに、一本足りない気がする。旧姓ではない。旧姓でもない。
もう書くのをやめよう。明日の朝、青いのを集積所へ持っていく。持っていけば終わると思う。終わるといい。
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