F-0024 複合機のことだけ長くなった書き置き
A4 三枚・クリップ留め/宛名は後任の事務員
- 形式
- memo
- 時期
- 2026-07中旬
- 状態
- 完全
- 出所
- 復元 — 浜松町の賃貸事務所で回収。後任者の机の抽斗に、小さい鍵一本とともに残されていた。
// 本文
引き継ぎ(机まわり)
奥村さんへ
引き継ぎが紙になってしまってすみません。思っていたより早く机を空けることになって、お話しする時間が取れませんでした。まとまりのない書き方になりますが、順に読んでください。分からないことは総務の福田さんに聞いてください。だいたいのことは福田さんのほうがよく知っています。
一、朝の開錠は八時十五分です。鍵と警備のカードは福田さんから受け取ってください。ポットは給湯室の左のコンセントに差してください。右は冬、ヒーターと重なって落ちます。
二、コピー用紙の発注は月に一度、金曜にまとめてです(発注書の綴りは福田さん)。もし途中で切れたら、駅前のコンビニで刷って済ませてください。領収書で落ちます。棚のいちばん奥に古い紙の包みがひとつ残っていますが、あれは、奥村さんは使わないでください。
三、入口の鉢は月曜と木曜に水をやってください。日に当てすぎると葉から白くなります。
四、複合機のことです。長くなります。
朝はできればいちばんに出て、最初に排紙トレイを見てください。紙が残っている日があります。会議の記録のような体裁のものです。機械が新しくなってから、私が見たのは五に書く一枚きりですが、もう出ない、とは書けません。読まずに二つ折りにして、茶封筒に入れて、机のいちばん下の抽斗にしまってください。鍵はこの紙と一緒に置いていきます。封筒は月末に私が取りに来ます。
読むなとだけ書いて理由を書かないのは失礼だと思うので、一度だけあったことを書きます。最初の朝、私はあの紙を誰かの議事録の刷り残しだと思って、給湯室で読みました。十時すぎの打ち合わせで、空調の効きのことで文句を言ったとき、同じ言い回しを朝の紙の三行目で読んだと気がつきました。気がついたのは、言っている途中です。この先の言い方を知っている、と思いながら言うのは、変な感じでした。あとで隣の席の人に、途中で黙りましたね、と言われました。私は最後まで言ったつもりでいました。どちらだったのか、いまも分かりません。
それからしばらく、何か言う前に、頭の中でさっきの紙を探す癖がつきました。読んだのはあの一度きりです。探すほうは、やめるのにずいぶんかかりました。正直に書くと、この書き置きも、書きだす前に少し探しました。読まなければ、ただの紙です。奥村さんは読まないでください。
五、時刻だけが並んで、発話の欄がぜんぶ空白の紙が、一度だけ出たことがあります。あれは封筒に入れるものではない気がしたので、入れませんでした。もし出たら、破ってください。時刻のところも、奥村さんは読まないでください。それと、その日は、と書きかけましたが、ここから先は何を書いても引き継ぎでなくなるので、やめておきます。破るだけでいいです。奥村さんは読まないでください。
六、最後に退勤する人が、複合機の電源を切ってください。ファクスは朝まで受けられませんが、それで困ったことは、私の知るかぎり一度もありません。切り忘れても誰も何も言いませんが、奥村さんは切ってください。理由を聞かれたら、前の担当がうるさかった、と言ってもらって構いません。奥村さんが切ってください。
長くなりました。事務所は夏、朝のうちだけ窓を開けると楽です。体に気をつけて。
(余白に、細いボールペンで)新しい機械になってからも、私は毎朝トレイを見てから仕事を始めていました。紙がない朝も、ない、と確かめるまでは、なるべく声を出さないようにしていました。おかしな癖だと自分でも思います。奥村さんは、そこまでしなくていいです。何かあったときのために私の連絡先を書いておこうと思いましたが、怖くてできませんでした。すみません。奥村さんは、無事でいてください。