F-0025 エレベーターを十三階で降りるようになった人の日記
十四階住人手帳写し・川口栄町
- 形式
- diary
- 時期
- 2015-10〜2016-01頃
- 状態
- 完全
- 出所
- 復元 — 綴じ手帳の後半の頁からの写しとされる。前後の頁には勤めの予定と金額の控えが並ぶが、その部分は写されていない。
// 本文
10月17日(土)
忘れないうちに書いておく。もう三日経ってしまったけれど。
水曜の夜、終電で帰った。エレベーターが十三階を過ぎたあたりで一度停まって、扉が開いた。廊下だった。常夜灯がついていて、造りはうちの階と同じ。誰かの玄関の前に傘が立ててあった。
よその階だと思って、乗ったまま扉が閉まるのを待った。管理員さんにはそう話したし、嘘ではない。ただ、開いてすぐは自分の階だと思っていた。鞄の中で鍵を探していたし、爪先は敷居にかかっていたと思う。思いとどまったのではない。雨あがりみたいな匂いがして、足が止まった。あの日は降っていなかった。
十四階に着いてから、押していない階のボタンが点いていたかどうか、思い出せないことに気づいた。扉の外の壁に、階の数字があったかどうかも、思い出せない。どの階も、エレベーターを出た正面の壁に、階の数字のプレートが貼ってあるのに。
10月20日(火)
管理員さんに話した。驚かれるかと思ったら、驚かれなかった。何階と何階のあいだでしたか、と聞かれて、十三と十四のあいだだと思うと答えたら、小さい手帳にボールペンで何か書いていた。点検では異常が出ていません、とも言われた。話はそれで終わった。
帰りぎわに、夜はあまり遅くならないほうがいいですよ、と言われた。世間話の言い方だった。
10月28日(水)
このごろ、扉が開いてもすぐに降りないようにしている。かごの中の表示は十四と出ている。出ていても、正面の壁の数字を見て、十四、と確かめてから降りる。声に出して言った日もある。誰も乗っていなかったからいいけれど。
自分の階だけではない。乗り合わせた人が途中の階で降りるときも、扉が開けば壁の数字を見る。降りる人の背中で見えないことがある。そういうときは、開くボタンを押しなおして、数字を見てから閉まるのを待つ。数秒のことなのに、その数秒が長い。
11月7日(土)
ゆうべ、壁の数字が見つけられなかった。開いた正面の、あるはずの場所に、なかった。瞬きをしたら、普通にあった。十四。ただの見落としだと思う。疲れてもいた。
部屋に入ってから、玄関の鍵を二回かけ直した。意味がないのは分かっている。
11月26日(木)
決めたことがある。遅い日は、十三で降りる。
十三と十四のあいだで停まるのなら、十三までは停まらないはずだ。誰かに聞いたわけではない。ただそう決めたら、乗っているあいだの気持ちがずいぶん楽になった。十三で降りて、階段を一階分あがる。運動にもなる。
階段では、まだ誰にも会ったことがない。掃除は行き届いているのに、使われている感じがしない。
12月15日(火)
階段は十二段が二回。あいだに踊り場がある。消火器と、小さい窓。窓の外は隣の棟の壁。踊り場の常夜灯が廊下と同じ色だと、初めて知った。この建物に十年住んでいて、知らないことがまだあった。
踊り場では立ち止まらないと決めている。理由はうまく書けない。
12月28日(月)
仕事納め。今年は帰りが遅い日が多かった。
金曜の夜、階段の一回目の段数が多い気がした。数えるつもりで数えていたわけではない。足が覚えている数と合わなかっただけだ。数え直しには戻らなかった。踊り場を過ぎて、二回目はいつもどおりだった。
年が明けたら、気にするのをやめようと思う。
1月16日(土)
年が明けて、遅い日が減った。エレベーターであの停まり方には、あれから一度も遭っていない。管理員さんは春で辞めるらしい。掲示板の貼り紙で知った。
壁の数字を見てから降りる癖は残っている。治すつもりも、いまのところない。
今日も十四だった。